【失語症の兄】6日目:2020/6/15_絶望の日

失語症

土日が過ぎ週明け月曜日がやってきました。
今日ついに兄の病院に行ける、面会は難しいと言っていたが一目ぐらいなら姿を見れるのでは、、
とはやる気持ちを抑えながら電車で会社に向かいました。

会社の最寄駅で兄嫁と待ち合わせです。私は、15時から現場での仕事予定がありましたので作業着でした。駅の改札付近で待っていると、すぐに兄嫁がやってきて、一緒に会社に向かいました。
道中、今回の件で非常に驚いた事や親族・会社の友人など多くの人が心配している事など話しながら会社に向かいました。兄嫁はわりと元気な様子に見えました。

会社に到着し、兄の部署の上司とOさんへ、発症時の迅速な対応への御礼と現在知り得ている兄の回復状況を伝えました。
お二人は「仕事は皆でカバーしているので会社の事は心配しなくて良い、療養に専念して下さい。少しでも早い復帰を祈ってます。」と、温かい言葉をかけて下さいました。

会社を後にし、遂に兄の病院へ向かう事になりました。正直ドキドキしています。会社から3駅ほどのところで電車を降り、そこから徒歩で病院へ向かいました。来院手続きを経て、医師の待つ部屋へ入りました。数枚の頭部レントゲン写真の前に医師が座っていました。

私「〇〇の弟です。今回の受入れや最善の処置をして頂き、誠にありがとうございました。それで、病状の方は如何でしょうか?」

医師「はい、病名は脳出血です。左脳からの出血がありました。救急車で運ばれてきた時は、出血量が少量だったので薬による治療で済むと判断しました。しかし、数時間後にお兄さんの歳では珍しく、2度目の出血をしたのです。その際の出血量がやや多かったので、緊急手術をする事になりました。結果、現在は完全に出血が止まっています。」

私「本当にありがとうございました。では数週間程度で退院する事ができますかね?」

医師「数週間では無理でしょう。これから長いリハビリ生活が待っています。」

私「え???」

医師「左脳からの多量の出血により、広範囲の脳の損傷が見られます。レントゲンに映っている黒い部分が損傷範囲です。ですので、後遺症として右半身の麻痺と高次脳障害が残るでしょう。今後は車椅子生活になります。また、正常な判断ができなくなる上、言葉も理解できなくなるので、自力での日常生活は困難になると思います。」

私「えっ・・・・・・。に、日常生活が困難って、例えば一人でお湯を沸かす程度もですか?」

医師「おそらく。。」

あまりの衝撃にその後の話は覚えていません。隣にいる兄嫁も絶望しているのを横目に感じていました。
医師の部屋を後にし、病棟の廊下を歩いているような歩いていないような感覚で進んでいる時、兄嫁から「ここ、兄の病室。一目見て行く?」と小さな声をかけられました。

病室に入り、手前の左のベッドに兄が寝ていました。頭は手術のためか前側20cmほど剃られ、そこにガーゼが貼られており、鼻には人工呼吸器が入っていました。兄嫁から「弟君なら耳元で声をかけたらきっと反応するよ。」と言われ、私は「兄貴、来たよ。」と、泣きそうな声で語りかけるのでした。
すると、兄は目を開け頭は動かさずに眼だけこちらに向けました。私「俺、弟だよ」。。
兄は言葉を発さず、表情を変えました。私には、「なんてこった、こんな事になっちまったよ。」と言っているような表情に見えました。私は「また来るからな、大丈夫大丈夫!」と言い残し、病室を出ました。

病院の入り口で兄嫁と別れ、仕事現場に向かおうと数歩歩き始めた際、私は膝から崩れ落ちました。
大人げもなく、号泣しました。嘘であってくれ嘘であってくれ!あの兄貴が日常生活ができない!?車いす生活だと!?何で兄貴なんだよ何で兄貴なんだよ!!

数十分ほど立ち上がれずに泣いたのでした。仕事現場に向かう電車の中でも、思い返すたびに涙が出てきました。

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